幕末の史跡を辿る旅のスタートは阪急・京福の四条大宮駅。
四条通りアークホテル横の細い道を南に入り、
京福電車の踏切を渡ります。
綾小路通を右へ折れると『新撰組之墓』という石碑が
門前に立つ寺があります。
軒丸瓦は『丸に右離れ三つ葉立ち葵』。
この寺紋が新撰組の総長・山南敬助の家紋と同じだった事から
親しく交流するようになったと言われております。
門は閉まっている事もありますが、左側の小門から入る事ができます。
庫裏で墓参料を払い、本堂脇の道を通って墓地へ行きますと、
東北奥の4基が新撰組隊士及び身内のお墓です。
最奥の一段高い所にあるお墓は、
昭和51年に建立された沖田総司縁者のお墓です。
このお墓は沖田総司の内縁の妻とも推測されている女性のものです。
左隣は総長・山南敬助ら5名の合同墓。
山南は新撰組初期からの隊士で剣の腕、教養も人望もありましたが、
慶応元年、屯所移転問題などで新撰組の現状を憂い脱走をはかり、
壬生屯所(前川邸)で切腹しました。
その左隣は大石造酒造(おおいしみきぞう)のお墓です。
大石造酒造は隊士ではありませんでしたが、
祇園で新撰組の今井裕二郎に惨殺されました。
兄で隊士の大石鍬次郎の繋がりでここに葬られたと思います。
その左隣は松原忠司、櫻井勇之進、田内知ら12人の合同墓。
又、油小路の変で亡くなった伊東甲子太郎、藤堂平助ら4人も
最初は光縁寺に葬られましたが、後に戒光寺に改装されました。