前川邸
歴史・見どころ
光縁寺から綾小路通を西へ4分ほど行くと、
風格のある建物が見えてきます。
ここが新撰組屯所跡・旧前川邸です。
文久3年、近藤・芹沢ら浪士組が京都に残る事を決めて以来、
隊士達は斜め向かいの八木邸と
ここ前川邸に別れて住んでいました。
前川一家は新撰組に屋敷を占領され、
油小路六角の本家の方へ移らざるをえなかったといいます。
現在は田野製袋所となっていて残念ながら内部は非公開だが、
建物はほぼ当時のまま残っています。
芹沢派で最後まで残った野口健司が切腹した出格子窓の部屋。
池田屋事件の前に古高俊太郎が五寸釘責めの拷問を受けた土蔵。
総長・山南敬助が脱走の罪で切腹した八畳間。
(前の晩に恋人の明里と別れを惜しんだ出窓は取り払われています。)
「会津 新撰組隊長 近藤勇」「勤勉 努力 活動 発展」と
落書きされた雨戸、隊士の付けた刀傷など、
内部には貴重なものも残っているが、
外観を眺めるだけでも新撰組の生活が偲べる建物です。