拝観時間:5:30〜17:30/拝観料:境内無料
歴史・見どころ
島原口のバス停を過ぎ、大宮通を渡ると
花屋町通りが少し北にずれています。更に東へ。
歩道を塞ぐように『新開街路碑』が立っている。
慶応元(1865)年3月、新撰組は壬生から
西本願寺境内に屯所を移しました。
隊士の人数が増え、壬生の屯所では手狭になった事と、
壬生郊外にあった為、市中取り締まりに
不便を感じての移転だったそうです。
東北角の北集会所(姫路市の本徳寺本堂として現存)と
太鼓楼が屯所に使われていました。
集会所は現在の総合庁舎と参拝会館の辺りにありました。
太鼓楼は当時と同じ場所に現存しています。
新撰組は境内で豚を飼い、鍋を作ったり、軍事訓練をしていたので、
音や臭気で寺側では大変迷惑したといいます。
慶応3(1867)年6月に新撰組は近くの不動堂村へと屯所を移していますが、
移転費用は西本願寺が出したそうです。
お金を払ってでも出て行って欲しかったのではないでしょうか。
壬生寺や前川家、そして西本願寺にとっては、
新撰組に良い印象はなかったようです。
西本願寺