歴史・見どころ
新撰組は壬生寺境内で軍事訓練をしていました。
大砲の訓練まで行っていたので、寺側はとても迷惑だった事でしょう。
その証拠に寺側から朝廷に嘆願書を提出しています。
余程の事だったと思われます。
西本願寺に屯所が移されてからも『大砲の訓練は壬生寺で。』と
言う事になって災難は逃れられませんでした。
又、沖田総司が壬生寺の境内で近所の子供達と遊んでいました。
坊城通の門を入った右手には新撰組隊士の墓『壬生塚』があります。
一番奥には近藤勇像。左隣には近藤の遺髪塚、
その横には会計方・河合耆三郎のお墓があります。
長細く、五輪の塔がちょこんと上に乗っている墓は
隊費出納の不始末から切腹を申しつけられた
河合のために遺族が建てたものです。
その横には芹沢派の田中伊織(新見錦?)野口健司、
池田屋事件で死亡した奥沢栄助、安藤早太郎、
新田革左衛門ら7人の合同墓。
その横には八木邸で暗殺された芹沢鴨と平山五郎のお墓があります。
少し小振りの芹沢らの墓は他の墓石に比べて新しい。
元々は仏光寺通を挟んで向かい側にある
壬生墓地(ここには八木家代々の墓がある)に葬られていたが、
後に改葬されたそうです。
最近建てられた碑には、新撰組顕彰碑や、
100円を入れると三橋美智也の歌が流れ出す
『ああ新撰組』の歌碑があります。