歴史・見どころ
堀川通を渡って、一筋東の油小路通を南へ。
正面通と交差する辺りにお地蔵さんの祠が。
その左隣に『勤王之士贈従五位 中井庄五郎殉難の地』という
石碑が建っています。
慶応3(1867)年12月7日夜、旅籠天満屋に泊まっていた
紀州藩の三浦休太郎を土佐の海援隊・陸援隊の残党達が襲撃し、
警護していた新撰組と乱闘になりました。
前月、坂本龍馬・中岡慎太郎を暗殺させた黒幕が紀州の三浦だという
噂が出回り、敵討ちが行われたのではないでしょうか。
三浦の護衛に斉藤一、大石鍬次郎らが当たりましたが、
酒宴をしている時に襲われ、
まず、居合いの達人・十津川郷士・中井庄五郎が三浦に斬りかかりましたが、
行灯の火が消されて敵味方の区別がつかないまま
斬り合いになってしまいました。
やがて「三浦を討ち取ったぞ!」という声が上がり、
刺客達は引き上げて行きました。
しかし、これは新撰組が機転を利かせて叫んだもので、
三浦は軽傷を受けただけで無事でありました。
三浦の物と思われていた首は実は中井庄五郎の首だったようです。
中井の首は無惨にも仲間によって古井戸に投げ捨てられました。
中井の首を刎ねたのは四条大橋で争った事のある
斎藤一だったとも言われています。
襲撃側では中井の他は数名が負傷、新撰組側は近藤勇の
親戚の宮川信吉が死亡、
舟津釜太郎が重傷で後日死亡、4名が負傷しました。
天満屋事件跡