歴史・見どころ
猿ヶ辻の変: 文久3年(1863)5月深夜、国事係公卿の会議を退出した
姉小路公知は太刀持ちと共に朔平門をすぎて
『猿ヶ辻』にさしかかったその時、3人の刺客に襲われ
重傷を負いました。
太刀持ちは逃げたが、公知は立ち向かい、
刀を奪い取るなどしましたが、
帰邸後、出血多量で死亡しました。
奪った刀は薩摩藩田中新兵衛のものと判明。
新兵衛は捕らえられたが自刃して果てました。
この出来事が『朔平門外の変』と言います。
猿ヶ辻 : 邪気の侵入をふせぐために築地の角を内側に切り込み、
御幣をかついだ木造の猿を浮き彫りにしている事から
『猿が辻』と言われるようになりました。
姉小路公知(1839〜1863): 尊攘派公卿のエースとして活躍するが、
勝海舟、坂本龍馬と摂海沿岸の警備を視察して以降、
攘夷の無謀さを知り、やがて周囲の過激尊攘派から
開国派に傾いたとみられるようになる。
文久3年(1863)5月、猿ヶ辻付近で刺客に襲われた。
御所は、鬼門である東北角の築地塀を内側に欠き、
角を欠く、つまり鬼の角(つの)を欠くことで
鬼を封じました。
屋根瓦の下には木彫りの猿が、
御幣をかついで御所を守っています。