歴史・見どころ
現在同志社大学。石碑は同志社大学西門前にあります。
幕末の薩摩藩は公武合体派を推進する中心的な藩の一つとして、
京都における様々な事件に関係していました。
藩主島津忠義の父久光(1817〜87)は,文久2(1862)年に上京し、
尊攘過激派らを鎮撫(寺田屋事件)しました。
その翌年8月18日の政変や元治元(1864)年の禁門の変では、
幕府や会津藩などと連携して
長州藩を中心とする尊攘勢力を一掃しました。
薩摩藩邸は、錦小路通東洞院にある本邸に加えて、
文久3年、相国寺近くの二本松にも設けられ新たな政治拠点としました。
この石標は文久3年に新造された薩摩藩邸跡を示すものであります。