三条大橋(2)
三条大橋高札所跡(3)
佐久間象山・
大村益次郎遭難碑(3)
高瀬川(2)
武市瑞山寓居跡(2)
吉村寅太郎寓居跡(1)
加賀藩邸跡(2)
池田屋(2)
先斗町歌舞練場(3)
酢屋(5)
土佐藩邸跡(2)
土佐稲荷(1)
角倉了以碑(1)
本間精一郎遭難の地跡(2)
古高俊太郎邸跡(2)
中岡慎太郎寓居の地(2)
近江屋跡(2)
高山彦九郎像(1)
小川亭跡(1)
四条大橋(3)
歴史・見どころ
木屋町姉小路の四国屋跡(金茶楼)から
三条小橋西入ルの池田屋跡まで早足1分。
パチンコ屋の前に『維新史蹟 池田屋騒動之址』の石碑が建っています。
6月5日夜10時頃、少数精鋭の
近藤隊(近藤、沖田、永倉、藤堂、周平)5人は探索の末、
三条小橋西入ルの旅籠・池田屋に辿り着きました。
池田屋の2階では志士達が古高奪還と陰謀の実行について
話し合っていました。
近藤と共になだれ込む隊士達は壮絶な斬り合いとなりました。
暫くして縄手付近を探索していた土方隊も合流し加勢しました。
約2時間の斬り合いだったといいます。
志士側では長州の吉田稔麿、杉山松助、土佐の望月亀弥太、
肥後の宮部鼎蔵ら大物志士達が亡くなりました。
話し合いに参加するはずだった長州の桂小五郎は近くの
対馬藩邸(現在の朝日会館)にいて無事でした。
新撰組では奥沢栄介、新田革左衛門、
安藤早太郎(墓は壬生寺)が亡くなり、藤堂と永倉らが負傷しました。
主人の池田屋惣兵衛も翌日捕まり、
六角獄に入れらた後に獄死しています。
捕縛された古高俊太郎も又、六角獄に入れられ、獄死しました。
この事件により維新が1年遅れたとも、
逆に1年早まったとも言われています。
そして新撰組の名を一気に高めた事件でもありました。