古高俊太郎邸跡
志る幸
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営業時間:11:30〜21:00/定休日:水曜日
歴史・見どころ
四条河原町を一筋上がって東へ。
河原町と木屋町の間あたりのほの暗い路地に『汁』と
書かれたのれんがはためく古風な建物があります。
隣には『勤王の志士 古高俊太郎邸跡』と刻まれた石碑が
ひっそりとただずんでいます。
ここが利休弁当やみそ汁で有名な『志る幸』で、
薪炭商・升屋喜右衛門宅跡です。
池田屋事件はここから始まりました。
元治元年6月5日早朝、新撰組隊士が西木屋町の升屋に乗り込み、
以前から怪しい動きのあった主人の喜右衛門を捕縛し、
壬生の屯所に連行しました。
前川邸の土蔵で升屋の取り調べが行われましたが、
『本名は古高俊太郎』と名乗るのみで、
中々口を割りませんでした。
業を煮やした土方歳三が五寸釘責めの拷問にかけたところ、
『風の強い日に京都市内に火を放ち、御所を焼く。
混乱に乗じ天皇を連れ出し、長州に送る。
松平容保や佐幕派の公卿も襲う。』と計画を白状しました。
升屋内の探索の結果、具足、槍、木砲、弓矢、火薬など
大量の武器が押収され、計画が着々と進行していることを
物語っていました。
危機を感じた新撰組は陰謀を企てていた
古高の仲間の志士達を探索しました。
これが原因で、池田屋騒動が勃発する事になります。
名物は利久弁当みそ汁親子たいめし丼など