土佐藩邸跡(2)
土佐稲荷(1)
角倉了以碑(1)
本間精一郎遭難の地跡(2)
古高俊太郎邸跡(2)
中岡慎太郎寓居の地(2)
近江屋跡(2)
高山彦九郎像(1)
小川亭跡(1)
四条大橋(3)
一力亭(1)
八坂神社(7)
円山公園(3)
月真院御陵衛士屯所跡(2)
高台寺(10)
維新の道(2)
霊山歴史館(1)
護国神社(9)
東福寺(25)
退耕庵(4)
歴史・見どころ
更に四条通りを西に行き、様々な人が行き交う四条大橋を渡ります。
四条大橋は新撰組の斬り合いの舞台となった場所でもあります。
文久3(1863)年3月、浪士隊(新選組の前身)の京都残留者の
とりまとめを会津藩より命ぜられた殿内義男が、
近藤勇一派によって四条大橋で惨殺された。
近藤・芹沢達は殿内達を同志とは思っていなかったようです。
初期の頃から派閥争いが激しかったことが伺える話です。
慶応3(1867)年1月には沖田総司、永倉新八、斎藤一の3人が
十津川郷士・中井庄五郎、土佐藩士・那須盛馬と四条大橋で出会い、
斬り合いになったといいます。
中井はこの時は危うく脱出しているが、
後、天満屋で斎藤一と邂逅を果たし、斬り殺されています。